先日の「教行信証」の学習会で藤場先生から「南無阿弥陀仏の葬儀」というご本を頂いた。読んでみると大変面白い内容だった。特にこれまで私の疑問だった事が明快に述べられていたので痛快感さえ覚えました。それは仏教は死後の事は言わないのに何故浄土の教え、浄土真宗は死と深く関わった形で極楽浄土という事を言うのか?という事について、実はこのことが浄土の教えを生み出した背景にあるという事でした。何故なら死んだらどうなるか?という問いに対して「分からない」「死んだら何もない」ということも言えますが、そういう答え方では納得しない、或は安心できない人が一杯いた。現代でもそうでしょう。だからそういう人たちが多くいたことを知っていた仏弟子たちが「死んだらどうなるか?」を真面目に考えて「極楽」という物語を考え出したという事です。「人間死んだらゴミになるという」言葉を残して死んでいった検事総長がいましたが多くの人は物語を必要とする。だからお葬式が終わって「死んだおじいちゃん、おばあちゃんはどこに行ったの?」「本当に仏様になったの?」と聞かれた時に藤場先生は「極楽浄土に行って仏様になっているよ」と答えています。というお話に感銘しました。
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